2015.02.07

フォトアルバムっていいもんだなと思えた。

フォトアルバム1

先週末、父方の祖母が亡くなりました。数え年で101歳。重い病気でなく天寿を全うしました。十数年前に亡くなった祖父にやっと会いにいけるのかなと思います。僕にとって母方の祖父母の事は全く記憶になく、おばあちゃん、おじいちゃんと呼んでいたのは父方の祖父母だけです。だから子どもの頃からおじいちゃんとおばあちゃんと言えば、二人の顔しか思いつかないし、おじいちゃんとおばあちゃんてこの二人しかいないもんだと思っていました。

子どもの頃は両親は共働きで、祖父母の二人と過ごす時間の方が多かったぶん二人との思い出はたくさんあります。特におばあちゃんとの思い出が多いように思えます。弟と2人兄弟ですが、僕達が近所の空き地で遊んでいると夕方にいつもおばちゃんが「晩御飯やで」と迎えてきてくれていました。公園に遊びに行くときもいつも一緒だったなーと。母がつくる玉子焼きよりもおばあちゃんの玉子焼きが好きで、母には悪いですが、おばあちゃんの玉子焼きをいつもリクエストしていました。

おじいちゃんが亡くなってからは、寂しいだろうなと思って、家族で外出する時はおばあちゃんの隣にいって手を握って一緒に歩きました。それを喜んでくれたので、そうか、おばあちゃんはこうすると喜んでくれるんだと、バカのひとつ覚えで外出の時は手をとるようになりました。そういえば自分の結婚式の時もパートナーでなくおばあちゃんと手をつないでいました。

思いだすといろいろありますが、僕が知っている祖父母はやっぱりおじいちゃん、おばあちゃんの顔をした祖父母です。でも、お通夜の日に父親が祖父母のアルバムをはじめて見せてくれた時、自分の知らない祖父母の顔がそこにはたくさんありました。当たり前ですが、若い。そして大正生まれだから、懐かしいを通りこして古い映画を観ているような感じでした。

フォトアルバム2

フォトアルバム3

フォトアルバム4

アルバムを見ながらこの人は?この場所は?と父に確認しながら一枚一枚めくっていきます。父も記憶を辿りながら色々話をしてくれます。軍服をきた若い顔のおじいちゃん、若い日の可愛いおあばちゃん、子ども頃のオトンとその兄弟たちも登場します。どれもいい顔で写っていました。当時はカメラがどの家庭にもあったわけでなかったみたいで、カメラ屋のおっちゃんがパシャパシャと撮影しに来ては、一枚どう?って感じで商売してたそうです。「うちはカメラあったけどな」と自慢も入りつつ、久しぶりに観るアルバムを照れながら観ていました。

アルバムをこうして観ると、アルバムっていいもんだなと感じました。結婚式に使う為に子どもの頃のアルバムをひっぱり出して、観たことはあったけれどもその時とまた違った感じがします。自分ではない事もあるのでしょうか。自分の時間軸よりずっと昔の遠い風景を見ているからでしょうか。

とても新鮮で、1ページ1ページめくるごとにワクワクします。映画か小説を観ているようです。次はどんな人や場面が登場するのか、どんなエピソードが待っているのか純粋に楽しい。そして永い年月の末の味のあるアルバムの装丁、ボロボロになったページ。色あせた雰囲気のあるモノクロ写真。アルバムとしての存在感がこれ以上なく素敵です。時間の経過で出来上がったものです。

フォトアルバム5

iphoneやipadのライブラリからいつでも瞬時にひっぱり出せる写真のギャラリーは、かなり便利だけれどもこうして古いアルバムと比べてみた時に思うのは、ハードディスクに収まっている写真は記録でしかないなーと。アルバムの中に収まっている写真は記憶だなーと感じました。素直に記憶の方が人間味があって好きだなと思えました。

アルバムっていつからの習慣なんだろうと気になり、調べてみるとラテン語の『albo(アルボ:白)』を語源とした古代ローマに議事録で使用された白い石版が由来だそうです。西洋文化をとりいれはじめた明治時代には貴重だったカメラと写真が、時代が進み高度経済成長をむかえ昭和時代には一般家庭にも普及しはじめ、撮影した写真を一冊の写真集にまとめる習慣が自然と根付いていったようです。

今まで写真はハードディスクに収納しておけばいいじゃないか。好きな時に好きなだけ見れるし、必要なものを検索ですぐにひっぱりだせるし、デバイス間で共有することだってできる。紙のように劣化しないし色褪せない。収納スペースにも困らない。これが最適と思っていました。

このフォトアルバムに触れて、1ページ1ページめくって、家族と会話して、時間をかけてお互いの記憶をたどる行為を体験したら、いちいち戸棚からひっぱりだすことが面倒でも、一枚一枚吟味してアルバムを編集することも、管理が大変でもありなんじゃないかと思えました。iphoneやipadでも同じ行為はできるのですが、何かが違うように思えます。アルバムという製品を知っているせいでしょうか。

フォトアルバム6

フォトアルバム7

フォトアルバム8

もし生まれた時から、家族の写真がデジタルフレームの中で、iphoneやipadのようなデバイスの中だけでしか観たことがなかったら、どんなふうに感じるのだろうか考えてみました。それでもたぶん僕が今アルバムを観ているのと同じような価値感でそれを観ているような気がします。観るのはデジタルな人でなく生身の人間だから変わらないんじゃないかと。
その子が成長して、写真の記録技術がもっと進化していたら、その子はその子で、ipadでみる写真はよかったよなーと思うかもしれない。

ということは、収まっている媒体が重要なのではなくて、写真なのかなとも思えてきました。
そう思うと写真も凄いなーと。フィルム写真がいいとかデジタルがいいとかじゃなくて、写真というものが凄いなーと思いました。アルバムに限ったことでなく、情報を伝えるツールとしてこんなに便利で凄いものはないないと。

目の前にある情報を言葉や文字にすると、膨大な情報量が何ページにも渡るかもしれないのに、写真はたった一枚で視覚的情報を瞬時にわかりやすく伝えることができます。遠い昔の記録写真をこうやって今も観ることができます。おばあちゃんの若い頃の姿なんてどうやっても頭の記憶だけではぼやけてしまいます。でも写真は、視覚的情報でちゃんと記録してくれます。その時代や時間に自分がいなくても、視覚的な情報の写真と、言葉としての記録レポートがあれば、ある程度その場の雰囲気や考え方などが情報として知ることができます。大昔の人たちも壁面に絵と文字を伝達手段に使っていたと思うと、技術が進化して使う道具は違うけれど、人は変わってなくて、自分以外の誰かに情報を伝える手段を常に考えてるんだなと思いました。なんで伝える手段を考えつづけているんだろっと考えだすとDNAとかそちらの知識も必要になってきそうですが、とにかくその歴史の中でカメラと写真っていうものを発明して、フォトアルバムを編集して一冊の記憶装置にしてしまう人間ってすごいなと思いました。

おばあちゃんとおじいちゃんのフォトアルバムを通して、色々知っているようで知らなかったことに気がつけたように思えます。二人ともまだ元気で健在だったら、アルバムを見ながらもっとたくさん話を聞きたかったなと思いました。アルバムの意義を自分でしっかり持っていたら、もっとはやくに写真見せてよって言ってたかもしれないなーと。少し悔しさが残ります。同じ後悔はいないように、両親のアルバムはちゃんと見せてもらおうと思っています。

手毬

プリモプエル

上の2枚の写真はおばあちゃんが毎日コツコツ作っていた毬と話相手のプリモプエルという人形です。おじいちゃんが亡くなって、弟も僕も結婚して実家を出ていくことになると、家の中が寂しいんじゃないかと思ってプリモプエルをプレゼンしました。「『がんばってるね』って声かけてくれはるねん。がんばらななぁ」って笑って言ってたのを覚えています。知らない間にプリモの着替えの服も増えていて可愛がってくれていました。そのプリモとおばあちゃんの作品の毬は、一緒に棺の中にいれてもらいました。写真に残したのは、いつか誰かにおばあちゃんとの思い出を話す時に記録しておこうと撮影しました。「おばあちゃんてこんなにキレイな毬つくっててん。」「この人形しゃべるねんで。可愛がってくれてたわ。iphoneのsiriくらいに賢かったらよかったのになー」とか話ができるといいです。

最後におばあちゃんと手をつないだのは、年明けにインフルエンザで入院して、退院した帰り道です。もう自分で立つこともできなかったので車椅子だし、僕の声が届いているのかどうかもわからないし、何か話そうとしてるけど、何を話そうとしているのかも聞き取れない状態でした。車椅子で移動しようとすると、落ちそうで怖わかったのだと思います。手を上げて止めてってサインを送ってくれたので、手をぎゅっとにぎりました。すると安心してくれました。それから迎えの介護タクシーの中でもずっと手をつないでいました。もうすぐ桜が咲く季節やから一緒に行こなって思っていました。

もう声も聞けないんだな、もう手をつないであげれないんだなと思うとすごく悲しいですが、泣いていても何も変わらないので、あっけらかんと過ごすことにしました。その方が安心して天国にいけるんじゃないかと。実際、亡くなった祖母の介護で疲れきっている父の代わりに母といっしょに葬儀の準備やらなにやらとしていたら、忙しくて悲しんでる暇もなかったなーと思います。

家族写真

この写真はおばあちゃんとおじいちゃんとオトンが写っている写真です。右端上の男性がおじいちゃん。その下の女性と子どもがおばあちゃんとオトンです。すごく幸せそうな家族写真です。自分もどこかのタイミングでパートナーと両親とこんなふうな写真を残したいなと思っています。ちゃんとアルバムも作りたい。

camera:GR DIGITAL2 & テレコンバージョンレンズ GT-1


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posted by pen at 15:29 | Comment(4) | Thought | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
PENさんへ

号泣してしまいました。。
寂しくなられましたね

なんてすてきなお話
おばあちゃんの可愛さ・PENさんのやさしさ

なんてすてきなお写真なんだろ

今見かける写真とは全然違う・・懐かしさと美しさ
ちゃんと分かるように言葉を添えて・・
大事にしてくださいね

みなさんよいお顔
Posted by Deux Rose sako at 2015年02月07日 19:02
sakoさんへ

そうなんです。みんないい顔してるんです。
自分たちもこんなふうに撮れたらいいなーと思います。
いつもカメラが前にくるとぎこちない表情になってしまいます。

アルバムは大切に保管したいです。
いまはそれは父の役目かなとおもっています。
いつか祖父母のアルバムと両親のアルバムを預かる日もくるんだろうなーと
思っています(^_^;
Posted by PEN at 2015年02月08日 01:51
心よりお悔やみ申し上げます

「やっと落ち着きました。」のコメントに気がつけず
申し訳なく思っています
お許しください

ページをめくっているかのように読みすすめるブログは
はじめてここにやって来たときの印象と少しも違わなく
PENさんのお優しい人柄が写真や文章に映り込んでいるのですね
わたしは、後悔してもしきれない「死」体験しています
そのときになにかにすがりたくて
やっと見つけた言葉です

「どんなにやることをしても、必ず悔いは残り
それは、例外なく万人に起こる。」
Posted by デリコ at 2015年02月09日 19:56
デリコさんへ

やっとの思いでみつけた言葉を
教えてくださってありがとうございます。

完璧は求めずに、今やれることを気負わずに
やっていきたいと思います。
Posted by PEN at 2015年02月10日 00:41
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